111系
1962年6月、沿線人口の急激な増加による東海道本線東京〜小田原の混雑に対処するため、1960年製造の401系と同様の3扉セミクロスシート車を投入し、危機的混雑状況の緩和を図ることとなった。
車体の基本構造は401系と同様で、車体断面は裾を絞った2900mm幅を持ち、扉は1300mm両開き、側窓は101系と同様の2段完全上昇形が採用された。前面も153系と同様のパノラミックウィンドウを持つ貫通型で、当初から高運転台が採用された。153系に比べ運転室寸法は短く、パノラミックウィンドウのすぐ後ろに乗務員室扉があるが、編成中間に組み込んだ際の収容力確保のため、401系とは異なり運転助士側の折り畳み機構を付加している。
また、東海道本線での使用を前提としていたため、近郊型として初めて1等付随車(当時)が製造された。こちらは153系のサロ153とほぼ同一の設計であるが専務車掌室はなく、定員はサロ153に比べ4名多い64名である。また、台車もコイルバネのTR62、座席の背ずり背面もメラミン化粧板である。
駆動方式をはじめとする基本性能は101系と同一で、主電動機はMT46Aであるが、歯数比を401系と同様の4.82(101系は5.6、153系は4.21、151系は3.5)とし、台車も電動車はDT21B、制御車と付随車にはディスクブレーキ付きのTR62を採用した。
1962年5月からモハ110・モハ111・クハ111・サロ111の4形式が製造された。
しかし、1963年に従来のMT46に代わる出力120kwの主電動機MT54が開発され165系がデビュー、MT54を国鉄新性能電車の新標準主電動機とする方針の下、順次他系列にも採用していくこととなり、111系も出力増強し113系を名乗ることとなった。従って、厳密な意味での「151系の同窓生」に該当するのは1962年度に製造されたモハ110・モハ111の64ユニットと、同時に製造されたクハ111-1〜45・301〜330・サロ111-1〜34の計237両ということになる。
これらの111系初期製造車は当初、大船と静岡に配置され湘南色で東海道ローカルの80系を順次置き換えていったが、113系の増備に伴ってサロ111を除いて1974年には大船から撤退、静岡、鳳、広島、神領へと分散していった。
それぞれの任地で湘南色から新快速色、関西色、瀬戸内色、福知山色、四国色をまとっての活躍が見られた。
電動車は四国高松に渡った3ユニット6両のみがJR四国に継承され、クハ111はJR東海に7両、JR西日本に13両、JR四国に5両が継承、サロ111は実に30両もの車がJR東日本に継承された。