157系
1959年、日光線電化に際して準急「日光」専用車両として製造された155系に続く5系列目の新性能電車である。国鉄初の観光専用電車という意味合いにおいては、今日の251系のルーツとも言えよう。観光用としての特殊性から、当時の最先端特急電車151系並みの車内設備を備え、東武鉄道との熾烈な競争に一歩リードした。
車体構造は153系に準じた裾を折り曲げた断面を持つが、2等車はリクライニングシート、3等車は回転クロスシートと、151系に準じている。冷房は近い将来の冷房化を考慮し準備工事を施し、側窓は下降式となっている。
前面は非貫通型となり、湘南型を高運転台・パノラミックウィンドウにしたような独特のデザインとなった。この流れは、117系・185系登場によりかろうじて受け継がれた感がある。
主電動機、歯数比、台車等は153系と同様であるが、勾配区間を走行するために、抑速発電ブレーキを装備、電動車の比率を高めるためにクモハが誕生している。
モハ23系として発注、落成を待たずに新性能電車の3桁形式称号改正が実施され、157系としてデビューした。当初14両が製作され、「日光」「中禅寺」「なすの」の準急列車に運用されたが、1959年末には早くも東海道本線の不定期特急「ひびき」に使用され、同年貴賓電車クロ157も加えやや特殊な系列として成長していった。
1962年には冷房取り付け工事が行われ、塗装も151系と同様の赤2号とクリーム4号に変更、運用も「日光」と「ひびき」に特化していった。1964年10月からは「ひびき」が廃止され、157系は伊豆方面と日光の観光準急の運用に戻ることになった。しかし、東武鉄道のデラックスロマンスカー1720系の前に、157系の劣勢は次第に決定的となり、1966年には「日光」運用の大半を165系に譲り、伊豆方面の急行「伊豆」を主体に活躍することとなった。1968年夏には新設の「そよかぜ」に使用されたが、9月以降は181系と交代、翌1969年1月にはスキー客をターゲットにした臨時特急「新雪」に使われたが、こちらも181系と交代、短期間の活躍に終わった。同年4月25日からは特急「あまぎ」に専用されることになったため、東京〜日光間の「日光」にのみ残っていた157系運用も165系に代わられ、「日光形」の由来となった「日光」から157系が完全に撤退してしまった。
1971年から、上野〜長野原(のちに万座鹿沢口まで延長)間の予定臨時特急「白根」の運転が開始され、2年ぶりに上野口に157系が復活した。
貴賓車を含めても総勢32両という少数派であったことと、下降窓の採用による車体の腐食の進行が災いして、1976年2月29日「あまぎ」の運用離脱をもって営業運転から撤退、お召電車運転用としてクロ157とMc+M’2ユニットを残して解体されてしまった。現在クロ157のみが185系併結改造を行った上在籍しているのみである。