401系・421系
国鉄は1955年、当時世界的に研究が進んでいた交流方式による電化を仙山線において試行開始した。合わせて各種交流電気車の試作を重ねてきたが、1959年にはシリコン整流器の実用化に目処が立ち、1960年8月、初の交直両用電車50Hz用401系が誕生、続く1960年12月には60Hz用421系が完成した。
車体は3扉セミクロスシートで、111系・115系へ連なる新性能近郊型の基本となった。車体断面は153系などと同じく裾を絞った2900mm幅を持ち、扉は1300mm両開き、側窓は101系と同様の2段完全上昇形が採用された。前面も153系と同様のパノラミックウィンドウを持つ貫通型で、当初は運転台の低いタイプで製造されたが、1961年12月以降落成分からは高運転台に設計変更されている。153系に比べ運転室寸法は短く、パノラミックウィンドウのすぐ後ろに乗務員室扉がある。また、111系に採用された運転助手側の折り畳み機構は採用されず、乗務員室仕切は固定式である。塗色は、交直流車両ということで、交流電気機関車の赤2号と直流電気機関車のぶどう色2号を合わせ、明度を上げるために灰色を混ぜた独特の交直両用色赤13号一色で、ヘッドライト周りにクリーム色4号の帯を巻いて警戒色としている。また、401系は正面の行先表示器の下に50Hz用を示す細い帯を、421系は車体の裾全体に60Hz用を示す細い帯を巻いていた。
我が国初の交直両用電車であるが、主電動機は交流区間での脈流運転対応を施した直流MT46Bを採用、主抵抗器、主制御器についても直流機器が搭載されている。モハ400・モハ420には800kVAの主変圧器とシリコン整流器が搭載され、屋根上は各種高圧機器、交直切替スイッチ空気遮断機、避雷器などが所狭しと並んでこの部分は低屋根構造となっている。台車は電動車がDT21B、制御車がTR64である。
401系・421系共に、使用線区の電化前に落成しており、401系は東北線、421系は北陸線で各種試験、試運転が行われ、1961年6月1日の電化開業からそれぞれ、常磐線・鹿児島本線で運転を始めた。しかし、常磐線においては、座席定員の圧倒的に多い客車から4連または8連のセミクロス車に置き換わったことで、せっかくの最新型電車導入にもかかわらずソフト面での一般乗客の評判は芳しくなかった。また、1964年10月から1年間、151系特急電車の博多乗り入れに伴いサヤ420型3両が電源車として使用され、のちにモハ420に編入されたのは有名なエピソードである。
その後、1965年からMT54を装備した403系・423系に移行し、1971年に50Hz・60Hz共用の415系が製造され、ステンレス車体を持つ1500番台まで製造が続くことになる。
401系は1978年から老朽廃車が開始されるが、時期を同じくして先頭車のシールドビーム化が行われ、1983年後半からは、「つくば科学万博」開催に合わせて現在の新塗色に変更された。403系は冷房改造車も存在したが、401系の改造車はない。一部の車両がJR東日本に引き継がれたが1991年までに廃車されている。
一方421系は先行製作車8両が1979年に廃車となった後、1986年と1987年に大半の車両が廃車された。しかし、一部の車両はJR九州に引き継がれ冷房化、新塗色化された。