1976年5月5日 越後湯沢(其の1)

前年の1975年は181系、特に元151系にとっては悪夢のような年であった。元151系の2/3が廃車となり、その数は100両を超えた。
181系使用列車も「あさま」「あずさ」が消え、「とき」のみ。そうした中で、車両のディティールに対する興味を急速に失った私は、次第に大手私鉄に興味の中心を移していくと共に、駅間での走行写真に活路を見いだすようになっていった。

ちょうど30年前のゴールデンウィーク、まだ181系も残る上越路に「とき」撮影に出掛けた。

越後湯沢から越後中里方向へ歩き始め線路の近くに向かう途中で、ものの見事に485系「はくたか」が通り過ぎてしまった。
あわててシャッターを切ったのがこの画像であるが、バックの新緑の木立、点在する民家、電信柱や細い小径など、何とも味わいのある1枚になった。
車番は記録できなかったようだが、画像を拡大してみると、116か118か119に読める。


駅間走行写真に不慣れなるが故のレンズ選択あるいはシャッターチャンスの稚拙さが滲み出た作品。どうしても車両を大きく入れたいという車両ファンのシャッタータイミングである。おかげで、この車がクハ181-103であることはすぐに解るのだが・・・。


上野寄り最後部は数少なくなった元151系パーラーカーの改造クハ181-63。この頃ライトの銀縁は取りやめられていたが、クハ180と同様のセットバックしたスカートは動車の特徴であった。12両の長い編成は先頭部が越後湯沢の構内にさしかかっている。


クハ76016を先頭にした上りローカル。モノクロなので判らないが、赤2号と黄色5号の初代新潟色である。


ペンタックスと共にマミヤの2眼レフも持っていった。この位置で1/200secではどうしてもブレてしまう。上の編成の最後部はクハ76049でご覧のように前面窓枠が木枠のままで客用扉や戸袋窓もオリジナルのままであったが、残念なことに運行番号窓が埋められ、ここにカバー付きのタイフォンが取り付けられていた。3両目はサハ85が組み込まれていることが判る。


2眼レフで撮影の後、遠ざかり行く列車を望遠で捕らえる。中には高崎まで足を伸ばす列車もあった。


115系も70系に混じって活躍が見られたが、こちらは初代新潟色には塗られず、湘南色のままであった。非冷房のクハ115-209を先頭にした普通電車。


「あさま」「あずさ」の運用から外れた長野運転所の181系はクハ180-1〜3が不運にも廃車の憂き目に遭ったが、それ以外は新潟運転所に転入し、「とき」に活路を見いだした。この先頭を切るクハ180-4はジャンパ連結栓受けを包んでいる。


反対側の下り先頭はクハ181-62である。これも2眼レフで捕らえたもので、特徴あるスカート周りがよくわかる。
食堂車組込の12両編成はまだまだ181系の風格を感じる編成であった。


後追いで大きなカーブに全編成が収まる。コンクリート柱は何とも無粋だが、今の鋼管パイプのものよりはましかもしれない。


次第に走行写真の感覚を身につけてきたのか、シャッタータイミングが良くなってきた。これも今となっては懐かしい165系の急行。列車番号から「よねやま」ではないかとのご教示を頂いた。先頭はクモハ165−3、もちろんシールドビームではない。1年後に落石事故で脱線転覆し廃車となってしまった悲運の車である。


クハ165-36を先頭にした上りの165系急行編成。4両目5両目がサロ、その次にはサハシがしっかり連結されている。

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