4.【クハ481−26よ永遠なれ!】
解説及び画像:JAPANGT−E様
平成19年に開館した鉄道博物館には、クハ481 0番台最後の1両となった26番が収蔵され、ボンネットの始祖181系列のクハ181−45とともにその優雅な姿を後世に残すことになりました。
クハ481−26といえば、昭和40年の仙台への新製配置後、昭和60年に生涯唯一の転属を行ない、以後廃車となるまで勝田を離れなかった、いわば「もっとも東日本に縁のあるクハ481」ということで、この保存はまさしくふさわしいものであると思います。また0番台全40両の中で最も外観に特徴のある車両ということもあり、私にとっては思い入れ深いクハ481−24には及ばないものの、印象深い車両でありました。 〔現役末期〜訓練車〜博物館へ〕
ここでは現役末期からの26番について、画像を交えつつ少々述べたいと思います。
1990年1月6日 仙台
9両編成の1号車として活躍していた最末期の姿です。JR以後「指定席車両」であることと、後ろに続くのがモハ484・485−50と比較的若いユニットであることもあって、アコモデーション改良の対象となり、昭和62年12月にR−55型シートへの交換を始めとした指定席車に相応しい室内となりました。この画像からも特徴あるシート形状が見て取れると思います。
この撮影後一ヶ月もしないうちに運用を外れてしまい(代替で下り方を向いていたクハ481−15が方転の上組み込まれた)、当時「ひたち」チェックを行なっていた私は「26番も(1990年)3月改正でいよいよ御役御免か・・・」と思いましたが、同年3月23日に上野駅で偶然にもモノクラス7連「ひたち」の「K6編成1号車」として稼働する同車に会い、びっくりしました。そして室内を見ると、シートのみT−17回転クロスシートに換えられており、さらに驚きました。これは、3月改正以後も残る485系7連をすべてR−55シートに揃えるため、旧タイプシート(簡リクを含む)のままの残存車とR−55シートの離脱車との間でシート振替を行ったためで、このとき私は「この稼働も一時的だな・・・」と悟ったものです。案の定、約1週間後の4月1日に勝田区を訪問し、そこで26番と再会した時は、編成から外れて1両のみ区構内に取り残されておりました。余談ですが、このときのシート振替は区で行なわれたものもあり、その名残を見ることができました。
1990年4月1日 勝田電車区(外周道路より撮影)
その後、まさかの訓練車への転身を経て、私が「動く」クハ481−26にめぐり会ったのは、2004年12月、こちらのサイトの「たいむトンネル」でも紹介されている「上野駅16番線」でした。このときの感動は言葉では言い表せなく、久々の雄姿を「目」と「耳」で存分に堪能したものです。

2004年12月11日 上野
その後は残念ながら動く姿は見ることができず、水戸駅・原ノ町駅で留置中のところを眺めるのみで、2007年2月の廃車回送も見送ることができませんでした。

郡山へ廃車回送の先頭に立つクハ481-26 2007年2月17日 宍戸〜笠間 撮影:クロ151
そして鉄道博物館への送り込み回送に際し、美しく整備された姿を鉄道各誌で見て「ぜひとも近くで、この目で確認したい!!」との思いが強くなり、ついに2008年7月9日に念願かなって訪問となりました。
〔現役末期と整備後の比較〕
久しぶりに間近で見たクハ481−26の感想は「よくぞここまでやってくれたものだ・・・」でした。外観はみなさま各誌でご覧になられたと思いますが、客室内の復元度合いが私には感動モノでした。
そこで、現役末期と現在の姿がどのくらい異なるか、画像を交えて説明しようと思います。客室内については、同内容のアコモ改良がされていたクハ481−24のものを併せて示しますので、比較していただければ幸いです。
・正面スタイル
ご存じのとおり、シールドビーム(完全改造型)だった腰部前灯は、訓練車の相方だったクハ481−17のものを移植し、優雅な「大目玉」に戻りました。この姿になったのはおおよそ四半世紀ぶりでしょうか。回転式タイフォンカバーや2ケのままのグリルはそのままなので、まさに「ひばり」時代の姿といえます。
・ヘッドマーク
ヘッドマークは字体こそオリジナルのようですが、外枠は軟らかい材質の複製品でした。確かにオリジナルのものより光沢がなく、またマークの固定方式も異なるようですが、これは良い復元度合いではないでしょうか。
ちなみにオリジナルのマークはこちらです。

1990年7月22日 仙台電車区(一般公開時)
・室 内まずは室内の基本(笑)写真です。
カーテンの色などに意見ありの方もおられると思いますが、ほぼ国鉄時代の姿になりました。かつて楽しい旅の移動空間として、また出張路を急いでいた時としてなど、昔の記憶が一瞬にして甦ってくるようです。
運転席側の妻面部分です。木目調の化粧板まで復元されました。当時の模様とは少々異なるようですが、やはり「国鉄型特急電車」は「木目」ですね!
ここで、アコモ改良車の室内がどのようであったかを紹介いたします。26番も一時はこんな感じでした。



全て1989年5月5日
妻面化粧板は全面を通して新しい柄になり、床リノリウムやカーテンレールキセは茶系のものに交換されておりました。原形時と比べると温色系でまとめられたのが判ると思います。
なお今回の復元に際して、カーテンレールキセも17番から流用したと思われますが、席番プレートが運転台側から「1、2、・・・」となっておりました。私が見ていた勝田のクハ481(300番台を含む)はデッキ側から「1、2、・・・」という席番だったので、これについては少々残念に思いました。
室内ナンバープレートも車体標記と同じ字体、そして「ネジ止め」になりました。JR後には字体の異なるプレートが多く見られたので、これは嬉しい復元です。参考までにその「別タイプ」のプレートはこんな感じでした。

この他、洗面所の化粧板も懐かしのグレーベース・クラッシュ模様となっており、旧式の冷水器と相まって往年の風格を出しておりました。

・便 所
実は、私は「便所内部」がどのようになったのか非常に気になっておりました。
新製時は洗面所と便所の化粧板は同じ模様ですが、アコモ改良後はグリーン1色のものに張り替えられており(アコモ未改造車でも便所化粧板交換車は多数あった)、「果たしてここも復元なったのかな・・・?」と注目しておりました。しかしながら現車は便所非公開となっており、残る確認方法は妻面の換気口から覗き見るのみ・・・。
外側妻面に回ると、換気口がわずかに開いていたので、そこから一生懸命凝視したところ辛うじてグリーンが見えたように感じました。ということは、この部分に関しては復元されていないと推定されます。いずれはきちんとした公開があることを望みたいと思います。
〔おまけ〕
博物館では屋根上部分も観察することができるので、雑誌で紹介されていて前々から気になっていた「頭部ライトカバーの後部」も撮影しました。

26番のものです。「北国育ち」ということで、雪詰まりを防ぐ目的で後部が切られ、空気笛も撤去され空洞状態になっております。これは有名な改造なのでご存じと思います。

こちらはクハ181−45です。原形のまま・・・ではなく、展示の際にクハ481−17のものを流用したものです(Zanpano様のご教示による)。
〔まとめに代えて〕
約20年前、高校生だった頃の記憶を思い出しつつ書きましたが、ここまでの復元をしてくださった関係各位の方々の尽力には頭の下がる思いです。屋内展示なので、保存状態については心配ないようでありますし、開館当初は可能であった室内での飲食も、183系の搬入によって不可となったことで、なおさら良好なコンディションが保たれるようですので、末永く美しくあることを願ってやみません。