『特別急行列車』の時代
=151系の残像を追って=
栗 林 伸 幸
平成も早や20年を数える現在、かつて国鉄の急行列車に「特別急行」「普通急行」「準急行」の3種類が存在したことを知る人はもう少ないのではないだろうか。
これら3種類の急行列車のうち準急行列車は1966年(昭和41年)以降、合理化のため普通急行に格上げされて消滅、さらに近年はこの急行列車までもが一律に特急列車に格上げされてしまい、普通列車以外は全て「特急」というドライな名の優等列車が全国を駆け回っているのが現状である。あの威厳ある「特別急行」という名前は、もはや死語になってしまっていると言えよう。そして1950年(昭和25年)生まれの私は、その特急がまだ「特別急行」と呼ばれて活躍していた昭和40年代の国鉄の姿を目の当たりにした最後の世代なのかも知れない。

電車にはなっても「特別急行」の名をしっかりと残していた東京駅の停車位置案内
1964年9月30日 画像提供:辻阪 昭浩様
昭和40年代、私は東京の大学に通う学生であった。在学中、東京では暇を見つけては東北・常磐・上信越各線の優等列車が集中する上野駅に足を運び、またふるさと大分への帰省時には、途中新幹線の乗り継ぎ駅である新大阪駅や大阪駅、更には岡山駅などで、電車、気動車、客車が入り乱れる山陽線の特急・急行列車にカメラを向けた。当時はまだ航空機利用は一般的ではなく、私も帰省にはもっぱら新幹線や寝台列車を利用していた。この頃は、特急列車は駅のアナウンスなどでも「特別急行○○号」と呼ばれており、文字通り「特別な」急行列車という威厳をまだ辛うじてではあるが保っていたと言えよう。

一時期、興味の対象が自動車に移っていた栗林氏を再び鉄道に回帰させたきっかけが、地元大分に華々しくデビューを飾った最新鋭特別急行電車581系「みどり」であった
1968年5月
私が好きだったのは電車特急で、なかでも181系の端正なフォルムには強く惹かれた。九州に生まれ育ったため、151系時代の全盛期の活躍を見ることは出来なかったが、東海道新幹線開業後は181系にこそ改造されたものの、クロやクロハ付きで山陽路に姿を見せていたこの「こだま型」に往事の残像を求めて追いかけたものである。また、あのパーラーカーの大窓は憧れの的であり、クロハ時代ではあるが、何とか工面して「特別座席券」を購入、過去の栄光を残す区分室に何度か乗車したこともある。

憧れのパーラーカー区分室に下関〜新大阪間を乗車、クロハ181−1の前で期待に胸躍らせる栗林氏
1969年7月 下関
クロ151さんの本サイトの中には、大学の先輩であり、また切符収集の大先輩でもある辻阪さんによる「弥次喜多コレクション」に昭和30年代からの151系栄枯盛衰の写真コーナーがあり、今回の私のコーナーはそれから少し時代は下るが、「特急」がまだ「特別急行列車」と呼ばれて活躍していた頃の山陽線や上野駅界隈のボンネット特急の写真を中心にご覧いただきたく思う。

大分車両センターを訪問、885系の運転席の栗林氏近影