『特別急行列車』の時代
=パーラーカー区分室乗車記=
1958年(昭和33年)11月、東海道線に華々しく登場した日本初の電車特急「こだま」。この列車の成功を背景に、1960年(昭和35年)6月のダイヤ改正では在来の客車特急「つばめ」「はと」も機関車牽引の客車スタイルを捨て電車化された。それまで特急のシンボルであった最後尾のオープンデッキの展望車も密閉式のクロ151型豪華パーラーカーに模様替えした。当時まだ小学生だった私は、雑誌などで見るこの窓が大きく斬新なボンネット型電車のスマートさに強く惹かれた。
しかし、東海道筋から遠く離れた九州・大分に在住していた私は当然ながら客車特急の展望車など見たこともなく、その後のパーラーカーにも縁のない生活を送っていた。

東海道全盛期の上り「第1こだま」のしんがりをつとめるパーラーカークロ151。すでに九州乗り入れ改造が行われているが、食堂車を境に大阪方はクロ151を含め4両の一等車が並ぶ。
1964年9月13日 大船〜戸塚 画像提供:辻阪 昭浩様
それが、1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業に伴ない、パーラーカー連結のあこがれの151(181)系は山陽特急に変身、私の住む九州にぐっと近付いてきた。しかし、悲しいかなその豪華さゆえの利用率の低さから、山陽線のクロ181は宇野線に乗入れる列車を除いて開放室が2等座席となるクロハ型に改造がなされ始めていた。「もうチャンスは残り少ない!」学生になっていた私は、上京・帰省を利用してこの余命いくばくもないであろうパーラーカーに乗ることを決意、1968年(昭和43年)夏から翌1969年夏にかけて三度、区分室ではあるが、このあこがれの車両に乗車することができた。一人用座席の広々とした開放室にも乗りたかったのであるが、フルサイズのクロは下関まで来てなかったので仕方なかった。

交直両用特急電車481系増備までの1年間は九州にもパーラーカーがやってきた。門司からの交流区間ではサヤ420を従えての無動力運転という苦肉の策は1965年10月に解消されたが、同時にクロ151をはじめとする豪華編成は九州から姿を消した。
1965年9月2日 八幡 画像提供:辻阪 昭浩様
1968年7月の初乗車時はあの「ヨンサントオ」という伝説的ダイヤ改正の3ヵ月前、列車名もまだ「第2しおじ」という重みのある呼び方であった。特別座席の制度も健在で、パーラーカーに乗るには500円と格安になってはいたが、「特別座席券」が必要であった。しかし、翌1969年5月に国鉄料金制度の抜本改革が行われ、2等級制はモノクラス制に移行、特別座席の制度も廃止されて、あの豪華区分室は通常のグリーン券だけで乗れる、知る人ぞ知る早い者勝ちの部屋となっていた。

1968年12月28日発行の山陽区間特別座席券。D型券は珍しい。
このため、1969年7月の二度目および同年8月の三度目の乗車に当たっては指定席を取る際に窓口係員に「1号車のグリーン車!」と何度も念を押したものである。この区分席4席はマルスには入っていないようで、その場ですぐには指定券は発行されず、いったん引き揚げてあとで電話連絡を受けて引き取りに行ったと記憶する。
パーラーカー専用の切符も実際に見てみたかったが、仮に1969年にも特別座席制度が残っていたとしても、運転区間から遠く離れている東京の窓口では専用の特別座席券が常備されていたとは考えにくく、一度目と同じような補充券での発行だったかもしれない。
以下が三度にわたる栄光のパーラーカー乗車記録である。
@ 1968年7月
下関→新大阪 特急「第2しおじ」クロハ181−10 2番S席
相席:徳山‐新大阪間 実業家らしい中年夫婦
切符類:1等乗車券、1等特急券、特別座席券
A 1969年7月
下関→新大阪 特急「しおじ2号」クロハ181−1 1番S席
相席:広島‐三ノ宮間 学者風の外人親子3人
切符類:乗車券、指定席特急券、グリーン券
B 1969年8月
大阪→下関 特急「しおじ2号」クロハ181−9 4番S席
相席:真夏なのにマスク姿の胡散臭い中年男
不倫が見え見えの中年カップル
3人とも大阪‐広島間
切符類:乗車券、指定席特急券、グリーン券
<初のパーラーカー乗車記>
昭和43年7月18日 (大分→小倉→)下関→新大阪(→東京)
<旅の序章は急行「きじま」>
下関10時00分発の特急1004M「第2しおじ」に乗るため大分を早朝6時33分に出る急行9512D「きじま」に乗る。この際だから大分から小倉までの「きじま」も1等車利用である。さすがに新幹線は財布と相談して2等車にした。

「きじま」の1等急行券
大分駅始発の急行「きじま」は6時20分過ぎに入線して来た。5両編成だったろうか、後ろから2両目の1等車に意気揚々と乗り込む。6時33分定刻に発車! 急行、普通、特急パーラーカー、新幹線超特急と乗り継ぐ大旅行の第一歩がスタートしたのである。
早朝のせいか車内は空いている。見送りの食堂の息子である友人差し入れの朝食弁当を食べる。通りかかった車掌に小倉での下関行各駅停車との接続を聞いてみる。「きじま」は4番線に着き、下関行は7番線から出るそうである。待ち合せ時間は20分以上あるから心配ない。日豊線は至る所で下関工事局による複線化工事が行われている。行橋を過ぎると下りの「夕月」「日向」といった寝台車を連ねた客車急行列車と相次いですれ違う。

山陰本線、福知山線を経由して小倉から12時間35分の長丁場になる特急「まつかぜ」。山陰本線経由が幸いしてか息の長い列車になった。
小倉
9時01分、定刻に小倉駅に着いた。「きじま」はここで折り返して博多に向かうのだ。7番線に行くと9時16分、博多発山陰線経由京都行特急「まつかぜ」が入って来た。こちらも長丁場の列車だが、京都にはこれから乗る山陽経由の「しおじ」と新幹線利用の方がかなり早く着く。側線をD51の牽引する石炭列車が何度か轟音とともに驀進してゆく。すごい迫力だ。
熊本からの下関行き222Mが到着する。空いていたので窓側座席にすわる。冷房車ではないためどの窓も大きく開け放たれており、そこから熱風が吹き込んでくる。クーラーの効いた1等車を降りた身には暑さがこたえる。次の門司で1分停車。下りホームに大分行の普通客車列車が停まっている。門司を出ると右手に広い操車場が現れる。「みずほ」のサインを出したカニ22電源車がポツンと1両止まっていた。関門トンネルに突っ込み、暗闇を5分ほど駆け抜けるといよいよ本州の下関だ。「上り新大阪行き特急第2しおじ号にお乗りの方は9番線にお回り下さい」との車内アナウンスが流れる。
<ついに181系と対面>
電車を降り、9番ホームに行くが、まだ発車まで20分もあるせいか181系の姿はない。1号車は一番後ろのためぶらぶらとホームの端の方に向かって歩いていると後方から音もなく181系が追い越して行った。1号車が先頭でよぎってゆく。もしや開放室までフル仕様のクロではないかと秘かに期待していのであるが、残念ながらやはり半室改造されたクロハであった。

下関に入線してきたクロハ181−10ほか上り「第2しおじ」。左右に離れたタイフォン穴は東海道末期からの同車の特徴である。
所定の位置に停車した車両に早速乗り込む。ついに夢にまで見たパーラーカーに足を踏み入れたのだ。若造が特別座席に乗り込んできたせいか、早速車掌が来て「この席ですか?」と不審そうに聞く。もちろんと1等乗車券と1等特急券、それに特別座席券を見せる。

補充券で発行された「特別座席券」。記事欄の「特別座席券(展望室)」はあまりに殺風景な券面であったため筆者が加筆したもの。
指定された2番S席に落ち着く前にこの区分室の内部をまじまじと見る。車番はクロハ181−10、パーラーカーの特徴である大窓に面して2人用の大きなソファーがデンと向かい合っている。真ん中の肘掛は二人が同時に置いても十分なスペースがある。真っ白なシーツが目にしみる。偶数車のため内装はソファー、壁ともにゴールデンイエローが基調だ。荷物はそれぞれの頭の上にフタ付きの棚がありそこに入れるようになっている。ソファーの間にテーブルがあり真ん中に灰皿がひとつ置かれている。大きなソファーは座席の下の二つの取っ手を引っ張って座席を出しリクライニングにする構造である。足をのせる台が前に置いてある。通路側にはマガジンラックがあり、新聞は朝日、毎日、スポニチの朝刊、それに朝日グラフ、毎日グラフ、ライフなどのグラフ雑誌が入っている。

偶数車の証、ゴールデンイエローのモケットを使ったBデザインのクロハ181-10区分室。備え付けられたグラフ誌が豪華さを盛り上げる。
2番S席は運転席を背にした通路寄りの席である。車内を撮影するが、古臭いマミヤで、ストロボもなく、レンズも標準のためうまく撮れなかった。

かなり粒子は荒れているが、枕に掛けられたレースのカバー、「C」から「S」に改められた座席番号、電話とシートラジオのジャックなどが見て取れる。
発車まで時間があるので外に出てホームからクロハの顔を眺める。セノハチの補機連結は151系から181系に改造された際に廃止されたはずなのに連結器カバーははずされたままで、自連がむき出しのためスマートさに欠けるのが玉に瑕である。スカートのタイフォンの穴は両はじに寄って開いている。1号車は一番後ろだし、前の2、3号車は普通の1等車なので乗客のざわつきがないのが少々さびしい。同じハコの半室2等の部分だけが人の出入りでざわめいている。しかしこの部分も指定席なので自由席ほどの喧騒はない。前の2等の乗客が時折この特別室を覗きに来る。皆羨望の眼差しで部屋を覗いて出てゆく。何だか見世物になったような気分である。
<パーラーカー下関発車>
10時ちょうど、1004M新大阪行特急「第2しおじ」は始発駅下関のホームを静かに離れた。いよいよパーラーカーの旅が始まったのである。相客はいない。4人部屋にひとりである。車掌が来て、頭上のクーラーの操作はご自由にどうぞと言う。強冷、弱冷、通風の押し込みボタンがあり、今は弱冷に入っている。「通風にすると水が垂れるので気をつけて下さい。」とのことだ。
外を見るともう山の中に分け入っている。下り線が低い所に見える。と、突然ブルートレインの姿が見えた。「富士」だ。かなり離れているので編成がよく見える。あれが今朝後にした大分に12時過ぎに着くのだ。急だったので写真に撮れなかったのが残念だ。
10時27分、最初の停車駅厚狭に到着、さらに30分後に次の停車駅小郡に停車する。まだ車掌と冷やかしの客のほかには誰もこの特別室のドアを押さない。しかしこの自動ドアは調子が悪く、誰も前に立っていないのに列車が右へ左へ傾くたびにドアが開き、パタンパタンとうるさい。それに冷気がそこから逃げてゆくのも困ったものだ。
11時過ぎ、食堂車から「皆様のお越しをお待ちしております」との昼食の案内アナウンスが流れる。ウェィトレスが予約注文を取りに車内を回るらしい。そしてここにも二人の若いウェィトレスがやって来た。自動ドアのマットを何度踏んでもドアが開かないので「アレ?」と首を傾げてドアを手で押して部屋に入って来た。「お食事の予約は?」としゃべりだしたので、食堂車には後で行くけど、料理は行ってから考えると伝える。彼女は不満そうに何か言いたげだったが、もう一人に促されて帰って行った。
<1時間半後、相客が乗車して来た>
11時33分、徳山に到着。ようやく相客が乗って来た。50がらみの中年夫婦である。区分室に入ると、切符を見ながら1番S席と3番S席に座った。なるほど、この二人が先に窓側の席を押さえたので大分のJTBでは通路側の席しかとれなかったのかと納得する。見送りの人が数人、ホームから例によってこの特別室を物珍しそうに覗きこんでいる。
「ぼっちゃん、おひとりでお寂しかったでしょう?
どちらからお乗りになったんですか?」とおばさん。「下関からです。」と答えると「この列車は下関始発なんだよ。」とちょっとインテリ風なおじさんがフォローする。このおばさんは生まれは別府だという。「大分も変わったでしょうなあ、今の人口はどのくらいですか?25万?ほう、そうですか。」と、おじさん。話好きの夫婦でこちらもずっとひとりでつまらなかったので話がはずむ。
12時15分頃、失礼して先に食堂車に行くことにする。5号車のサシに足を踏み入れると予想に反して客はほとんどいない。やはり予約などしなくてよかったと思う。そういえば食堂に向かう途中の車内は、1号車の半室2等部分はそこそこ乗っていたが、2号車と3号車の1等車はガラガラで、4号車の2等車でさえも乗客は少なかった。夏休みの繁忙期にかかる前だからだろうか。それにしても少ないのに驚く。4号車には外人グループがいて、そこだけは華やかであった。
陽が差し込まない山側の席に座る。まずコーラでのどをうるおし、ランチを注文する。肉料理の洋食だが、あまりうまくもなかった。反対側の窓からは瀬戸内の海が見え隠れしてとてもきれいだ。コーラとランチで料金は370円だった。列車番号などが書かれた小さな紙切れのレシートをもらう。区分室に戻るとしばらくして今度はこの夫婦が「じゃ、お願いします。」と言って食堂車に向かった。

1004Mの列車番号と日付の入った日本食堂の領収証。緑字の特急「第2しおじ」の文字は筆者の加筆したもの。
13時03分、広島に到着。3分停車の間にカメラを持ってホームに出ると、ドア操作を終えた車掌が近寄って来て、シャッターを押してあげましょうと、クロハのボンネットをバックに少し横から写真を撮ってくれた。ホームから区分室内の写真も撮って乗り込む。

製造からまだ7年。ボンネットも艶やかなクロハ181−10。ウィンカーランプ、バックミラーも健在。乗務員室扉に水切りがない10番の特徴もはっきり解る。
広島

区分室の花瓶には花が生けられ、特別座席の印象はそのままである。1×2mの大窓にはHゴムのカバーとしてステンレスの薄板が取り付けられている。ソファ上方の荷物棚は蓋を上に跳ね上げるハットラック方式であるが、どうやら荷物を忘れる人が多いのか、中が見える小窓が開けられているようだ。
広島
<相客や車掌と話に花が咲く>
食堂車から部屋に戻った後も話好きのおばさんはよくしゃべる。おじさんの方は何事にも詳しく、車窓に工場や何かが見えるたびに必ずあれは何々でと説明が入る。「大分は電化されているんですか?」「ええ、去年の10月に大分の先まで電化が完成し<みどり>という特急電車が走っています。大分、別府付近は複線になっています。」「ほう、そうですか。」と、おじさん。「ところであなたは大分を今朝何時にお発ちになったんですか?」と別府出身のおばさん。「朝の6時半すぎの急行で出ました。」「そうですか、大変でしたね。東京まででしょ?
こんな贅沢な列車に乗られて、飛行機はお嫌いですか?」「列車の旅の方がいろいろな所が見れますから・・・。」このパーラーカーに乗ることが目的だったとは言えなかった。
「私たちは長州の方を見物して来たんですよ。」この夫婦も東京まで行くらしい。時折り通りかかる車掌も話に加わる。故障している自動ドアのことを聞くと、「これは以前、東海道線で使用していた車両ですからね、古いんですよ。」次におじさんが乗車率のことを聞く。やはり食堂車に行く時に感じたのだろう。「かなり空いていますねえ。これじゃ国鉄も儲からんでしょう。」「ええ、まあしかしもう4〜5日もすると混んできますね。」と車掌。
「ずっとこの部屋では退屈でしょう。よかったら向こうの1等車の方に行かれてもいいですよ。向こうは広々してますし、空いているからどこに座ってもいいですから。」と言ってくれた。しかし、結局誰もこの部屋からは出なかった。
<最終コースへ>
15時18分、岡山に到着。またカメラを持ってホームに出て今度はじっくりと正面から先頭部を撮る。今度は正面からきれいに撮れた。ガラガラの2、3号車の1等車も撮る。

岡山に到着した上り「第2しおじ」。クロハ181−10は晩年クハ181-65に改造されてからも美しい外観を保っていたが、それとは比べものにならないほど綺麗である。
岡山

モロ181・モロ180と続く優等車。ガラガラなのはこの画像からもはっきり見て取れる。当時の向日町運転所では頻繁な編成替えやユニット差し替えは行われていなかったようで、画像はモロ181−10とモロ180−10の可能性が高い。
岡山
さらに1時間ちょっと走って、お城で有名な姫路に着く。16時24分姫路を出ると夕暮れが近くなってきた。三ノ宮17時08分着。陽射しはすっかり夕方のものになってきた。電車は神戸、大阪間の高架区間をひた走っている。多くの線路が並行している。海側の線路を通勤電車の国電が駆け抜けている。と、隣の線路を同じ方向に走っている国電を捕まえた。すでに帰宅ラッシュにかかっているようで車内は満員である。ほとんど同じ速さで走っているため、ぎゅうぎゅうに立った乗客が一斉にこちらの区分室を羨望のまなざしで覗き込む。痛いほどの視線を感じ、少々気恥かしい。
朝10時に下関を出て7時間あまり、いよいよ終着が近づいたのを感じる。さすがに疲れた気もするが、それよりもこのパーラーカーに別れを告げる寂しい気持ちの方が強い。
17時31分、大阪着。一番端の11番ホームに滑り込む。終着を目の前にしてなぜか6分もの長い停車時間だ。ホームに降りて壁の窓から外を見ると、たくさんのタクシーが走っているのが見えた。出てきた車掌とまた立ち話。「連結器にカバーを付けるとスマートなのに。」と言う私に「そうですねえ、なぜ付けないのかなあ?」と車掌氏。二人でしげしげと181系の顔を眺める。車内に戻って外を見ると、隣の9−10番線ホームには貨物用の荷車がたくさん置いてあるのが見えるが、その先のホームには環状線ホームまで1本の列車もいない。大阪駅のような大きな駅で珍しいことだと思っていると、4番線に下り181系が入って来た。17時36分発の広島行「第2しおかぜ」だ。停止位置は上り下りともほぼ同じみたいで、ちょうどパーラーカーの大窓が見える。こちらと同じで半室2等の部分には乗客が認められるが、気になる区分室の方はどうなのかよく見えなかった。

大阪11番線に到着したクロハ181−10区分室から、遠く4番線に停車中の「第2しおかぜ」が見通せる。松本清張の「点と線」並みの一瞬間であろうか。
大阪
17時37分、大阪を発車。最後のコースに入る。パーラーカーともあと数分でお別れだ。そんな感傷をよそに特急「第2しおじ」は快走、淀川を渡って終点新大阪に向かう。最後の区間の5分はあっという間に過ぎ去り、列車は17時42分、定刻に新大阪駅のホームにその歩みを止めた。
荷物を持ってホームに降りる。18時発の新幹線「ひかり」に乗り継ぐためもうのんびりと181系の顔を見ている暇はない。車掌に会釈し、後ろ髪を引かれる思いでエスカレーターに向かう。新幹線改札で「ひかり」特急券と乗車券を見せると、駅員が「今乗って来られた特急券を下さい」と言う。う〜ん、残念だが仕方ない、特急券は渡す。しかし、特別座席の客などわかるはずもなく、この券は出さずに持ち帰ることが出来た。
同室だった夫婦と一緒に新幹線3番ホームに上る。この夫婦はなぜか荷物がとても多い。
いくつかの荷物は赤帽を手配して持たせているが、まだ二人とも両手にいっぱい荷物を持っている。見かねておばさんの荷物を少し持ってやる。「ひかり」の号車は離れているので名残惜しいがホームでこの人の良い夫婦と別れる。初めてのパーラーカー乗車体験もこの二人のおかげで思い出深いものになった。楽しい旅を有難うとお礼を言う。お元気で!
17時52分、ゆっくりと東京行「ひかり40号」が入線して来た。ドアが開き、新幹線の車内に足を踏み入れた時、印象深い私のパーラーカーの初めての旅は終った。