『特別急行列車』の時代

=パーラーカー区分室乗車記2回目(前編)=

 <はじめに>

 初めてパーラーカーに乗車した1968年から1年、再度「しおじ」の区分室に乗車する機会を得た。
 

この年の5月には国鉄運賃・料金制度の大改革が行われ、これまでの1・2等級制が廃止され、運賃は一律モノクラス制となった。特急・急行料金にも等級がなくなり、旧1等車はグリーン車と名を改め、設備料金としてグリーン料金を徴収することとなった。合わせて残念ながらこれまでの特別座席の制度も消滅、パーラーカーとして残っていた区分室は特別座席料金(500円)不要の通常のグリーン席扱いになった。

 あの区分席に通常のグリーン料金で乗れるということは早い者勝ちということになったわけで、競争率が高くなったような気がしたが、一般の利用客には区分室の存在はあまり知られておらず、そう心配することもなかった。
 ただ、区分席はマルスに入っておらず、購入には手間暇かかる窓口泣かせの席ではあった。今回のJTB大分のカウンターでも、「1号車のグリーン席」と何度念を押したことだろう。それだけに、無事に購入出来た時は正直ホッとしたものである。

<大分から電車急行「ゆのか2号」で出発!>

 1969年(昭和44年)7月20日、大分駅12時58分発の電車急行「ゆのか2号」で旅立つ。

ヨンサントオで登場した博多〜大分間の急行「ゆのか」


 今回は大分から東京までオールグリーン車での旅だ。事前にJTB大分支店で大分→東京都区内の「特急・急行グリーン券」3200円を購入する。等級が廃止されたためグリーン車の方が旧1等車利用よりも安上がりになったのは助かる。

大分から東京までのグリーン券


475系「ゆのか2号」は7両編成で一番後ろが1号車、4号車がグリーン車だ。前の方の自由席部分に座る。

「ゆのか」のサロ455室内。扉上部に「一部指定席」と、真新しいグリーン車のステッカーが見える。


 クーラーの効いたリクライニングシートは快適である。杵築から宇佐の間で並行する国道10号線を精悍なスポーツカーと並走する。何だろうと目を凝らすと、マツダのロータリーエンジン車「コスモ」だ! 地を這うように走る姿はさすがにカッコ良く目を引く。

まるでストラクチャーのような民家の並ぶ国道を颯爽と走る当時のロータリーエンジン搭載スポーツカー「コスモ」。


 昼食がまだだったので隣の5号車のビュッフェヘ行く。昼食時間帯のせいか客が多い。何を食べようか迷ったが、昼食としては大したものはない、サンドイッチとアイスミルクの軽食を注文してあわただしくとる。カウンター越しに立って見る外の景色はふだんと違ってとても斬新に感じられた。夜、一杯やりながら見ることが出来たらいいだろうなと思った。14時20分、中津に到着する。駅構内の外れに大分交通耶馬渓線のディーゼルカーが停まっているのが見えた。

「ゆのか」のビュフェ領収書。例によって右上部のメモは筆者によるもの。


15時05分、定刻に小倉に到着する。何とここにもホームから階段を降りたところに改札内改札があり、急行券を回収される。最近こういうのが多くなったようだが、切符コレクターにとっては困ったものだ。

 さて、今回お目当ての特急「しおじ2号」は始発駅下関を早朝7時20分に出る。昨年の「第2しおじ」は10時発だったので大分を朝出れば間に合ったが、今回はそうはいかない。事前に小倉の友人に連絡して1泊させてもらうことにした。前夜はその友人たちとビアガーデンなどに行き、旧交を温める。

<いよいよ「しおじ」始発駅下関へ>

 翌7月21日、朝6時頃友人宅で目覚める。支度して小倉駅へ歩く。下関まで見送りの友人と6時40分発423系8両編成の防府行1224Mに乗る。門司を出ると広い構内になぜか581系の中間車が1両ポツンと停まっているのが見えた。去年は同じような所にブルトレのカニが1両いたのを思い出す。関門海底トンネルを抜けて6時54分、下関駅8番ホームに到着する。

「しおじ2号」は同じホーム反対側の9番線から出るが、その向こうの通過線兼電留線に181系の編成が停まっている。あれがそうだなと思いながら、1号車は一番後ろなのでホームを門司寄りへ歩く。1号車の横まで来て気になる車番を見ると、「クロハ181−1」とある。おー!ファーストナンバーか!ラッキー!と嬉しくなった。しかし、連結器カバーが本来のツートンではなく481系みたいに赤一色なのが残念だ。

下関駅電流線のクロハ181−1。バックミラーもウィンカーランプも健在。グリーンマークはいささか興醒めながら、正統パーラーカーの美しいスタイルは保たれている。


下関駅電流線のクロハ181−1を普通車側からとらえたもの。大窓から見えるT−17形回転腰掛けはシートピッチも合わず残念だが、Rが大きく優雅な大窓の迫力は他の追随を許さない。


 小倉から乗って来た423系電車は7時01分に前半分の4両で発車してゆき、残された4両は行き先を「博多」にして回送線に行ってしまった。
 7時05分、間にホームをひとつ隔てた下り4番線にEF58が客車急行を引っ張って来て停車した。

下関駅で切り離されるEF58。この機関車交換の早さは大したもの。


 構内門司寄りに交直流機が待ち構えている。時刻表を見ると「日南3号」だ。昨年のヨンサントオ前までは「日向」と名乗っていた列車だ。昨年、「月光」を利用した際、小郡で追い抜いた列車だ。「日向」の名は大阪−宮崎間のDC特急(元「いそかぜ」)に召し上げられたため、同時に愛称廃止となった寝台専用急行「夕月」、臨時だった「第2日向」の3本で「日南1〜3号」トリオを組んでいる。

EF58に替わって門司まで日南3号の先頭に立つEF30。


 181系が動き出した。クハを先頭に上り方面に進むのでホームを追いかけて歩きながらクロハ側をねらってカメラのシャッターを押す。

9番線据え付けのため、一旦電流線を上り方に引き上げるクロハ181−1ほか11連。6両目にはモハシ180の姿も確認できる。ビュフェ部分の窓形状から後期形であり、当時の編成から考えるとクモヤ190−1に改造されたモハシ180−11の可能性もある。


 編成が視界から消えた後、しばらく待っていると181系は今度はクロハを先頭にゆっくり9番線に進入してきた。所定の位置に停車したので、あこがれのファーストナンバーの顔をしげしげと眺める。
 ちょうどいい機会なので、クロハの車体の裾の赤帯に片足をかけたところを友人に撮ってもらう。いい写真が撮れたとうれしくなる。

憧れのパーラーカーの前で。


 発車までまだ間があるせいか、まだ周りには乗客の姿はない。写真も十分撮ったので、満を持して区分室に乗り込む。奇数号車のため内部のソファーの色はワインレッドである。特別座席料金が廃止されたせいか、昨年はあったマガジンラックがなくなっている。

 運転席を背にした窓側の1番S席に座る。友人は4S席に座る。「展望車と言うからもっと高い所に座席があるのかと思った」とのことだ。なるほどそう思うのも無理はないか。お互いにソファーに座っているところを写真に撮る。

奇数番号は臙脂色のモケット。後方の電話・シートラジオのジャックはそのまま残っている。


発車まで区分室でパーラーカー体験の友人


窓に掛かるカーテンは前回乗車のクロハ181−10とは異なり、床までの長いオリジナルタイプを使用している。手にする新聞紙面は「アポロ11号」の月面着陸間近を報じる記事でいっぱい。


 発車時間が近づいたので友人はホームに降りた。
 デッキから隣の普通席を覗くと、かなり乗っている。珍しそうにこちらの部屋を覗きに来るやつもいる。これも去年と同じだ。ホームで安全確認をしていた車掌もドアから中に入ったので部屋に戻る。

 7時25分、1004M新大阪行特急「しおじ2号」は下関駅9番ホームを静かに離れた。2度目のパーラーカーの旅がいよいよスタートした。前回と同じく相客は誰もいなくて4人部屋にただひとりの旅立ちである。しかしこれから岩国あたりまでは、下りブルートレインと何本かすれ違うので油断ならない。いつでも写せるようカメラを手許に置いておく。そして時刻表をテーブルの上に置き、買い込んだ朝日、毎日の朝刊にざっと目を通す。両新聞とも1面にはアメリカの宇宙船アポロ11号が今日、月面に着陸するという記事がデカデカと載っている。と、いきなりバタン!シュッ、シュッ、シュッと青い帯が流れる。長崎・佐世保行の20系「さくら」だ。

下り「さくら」との離合。原板は大きく傾いているが、45度時計回りに回転加工した。


 最初の下り特急との出会いだ。ハーフサイズのカメラで後部マークを狙ってシャッターを切るが、かたや昼の王者181系、かたや動くホテルとも称される20系が時速100キロ近いスピードですれ違うため、よほどタイミングよくシャッターを切らねばならないとテールマークは撮れない。EF65のヘッドマークが見えたかと思うと、風切り音とともに青い帯が流れ、数秒後青い帯はプツンと切れてもとの景色に戻る。カーブでもない限り対向列車の発見は無理だからヘッドマークはあきらめて、青い帯が走ったらすぐさま窓にへばり付き後部トレインマークをねらう。ねらいすましてシャッターを押すが、何せ速いのでどの程度撮れているかはわからない。

後半へつづく

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