1975年2月 九州(其の1)

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今まで【たいむトンネル】で取り上げてきた数々の鉄道シーンは比較的短時日の訪問によるものが多かったのだが、今回皆さんからのご希望も多い1975年(昭和50年)3月10日の新幹線博多開業を前にした車中4泊の九州旅行を取り上げることにした。
2月19日に「桜島・高千穂」で東京を発ち、23日に「銀河」で帰京するまで200枚以上の写真を撮ったのであるが、極力割愛を避け当時の様子を振り返ってみたいと思う。
公開は順次行うのでかなり長期に渡るが、ご了承願いたい。

例によって出発は我孫子。日常から次第に非日常の旅へと高揚していく第一歩である。大阪、九州方面はどうしても夜行での出発が多かったのだが、今回ばかりは午前10時といういわばゴールデンタイムに東京駅を出発、昼間の東海道を西下するので、我孫子の出発も当然朝8時半過ぎとなった。周遊券での九州周りであったから我孫子〜上野まで急行「ときわ1号」を奢った。
今の「スーパーひたち」並の設定本数だった「ときわ」の主力系列は451系・453系。この日の先頭はクハ451-27である。この車はタイフォンがオリジナルではなく細い棒材を溶接した形状である。すでにラッシュのピークは過ぎているものの、これから会社に向かうサラリーマン諸氏の仏頂面は今も昔も変わらない。

2月19日 我孫子


出発案内を撮影するというのは、星 晃・久保 敏両氏の手による「電車のアルバム」をバイブルのようにして育った私にとってはごく当たり前の記録であった。当時、栄光の14番15番線が使用中止となって2年ほど、まだまだ12番線13番線は東海道優等列車の出入りする「特別」感が残っていた。

2月19日 東京


9時35分の12番13番線ホームの様子。「桜島・高千穂」の発車案内が表示された12番線には順法闘争か関ヶ原降雪かで大幅に遅れた上り「瀬戸」とおぼしき20系が引上を待っている。何しろ当時のダイヤは慢性的に乱れていた。13番線の111系のグローブベンチレーターも懐かしい。

2月19日 東京


入線シーンは8mmを回していたので、スチールでは上のコマの後がいきなり据え付け後のこの写真になる。東京〜西鹿児島25時間43分の長旅をナハ11ではさすがに厳しく、最初で最後のオロ11乗車となった。かつて「つばめ」「はと」で名だたる名士達を迎えたであろうデッキが、今日は自分を迎えてくれる。

2月19日 東京


昔ながらのサボ受けに「西鹿児島(博多経由)」のサボが入る。等級帯も良いアクセントである。

2月19日 東京


10時00分、EF583号機のホイッスルと共に1101レは東京駅を離れ、一路西へ西へと昼間の東海道本線を下っていく。
品川ですぐに停車する準急成り上がりの「東海」などとは訳が違う。最初の停車駅は堂々横浜である。しかしながらいきなり5分延着である。
ホーム柱にやたらと取り付けられた灰皿が時代を物語る。

2月19日 10:35


かつての花形特急用特別2等車はスポットライトがスタンダード装備されていた。もちろん冷房など無い時代ではあるが、パーソナルなおもてなしを印象づける点ではビジネスライクな151系「こだま」には見られない装備として、多いに評価できるものだろう。

2月19日 大船付近走行中


2つ目の停車駅は小田原。今の新幹線「こだま」並の停車駅で東海道を飛ばしていく。しかし残念ながらここですでに10分延着。順法闘争でも行われていたのかもしれない。
ホーム反対側の113系は当たり前のように非冷房。

2月19日 11:26


熱海到着。自席より前方を望む。適度に席は埋まっているとは言え、かなり空いている。一つ一つがカバーされた蛍光灯に製造時期を感じる。当時の時刻表には「グリーン車連結は東京発2月20日まで」と記載されていたので、正にその前日に乗るのだという緊張があった。しかし実際には改正前3月4日までは尾久客車区の応援も借りて連結されていたのを確認している。

2月19日 熱海


この頃すでに熱海は「新幹線で行く所」になりさがっていた。新幹線の高架下で何とも殺風景なホームの様子は、歓楽街熱海の印象とはほど遠い。12分延着。

2月19日 11:48


12分延のまま、沼津に到着。向こう側には155系の特徴有る姿が見える。古き良き東海道時代を彷彿とさせるホームの佇まいと良くマッチする。

2月19日 12:08


今回「桜島・高千穂」乗車で期待した一つは「全盛期の雰囲気を味わいつつ東海道本線を昼行優等列車で下る」という事であった。中でも吉原〜富士間で車窓から眺める富士山はその象徴的シーンである。かつて昭和30年頃、岩波文庫から「岩波写真文庫」という小型の写真集が発行されていたが、その中の「東海道本線の旅」の表紙の写真が車窓に置かれたお茶と富士山であった。これはそれを意識して撮影したものである。

2月19日 吉原〜富士


遅れは拡がることもなく、かといって回復することもなく、富士に13分延着した。向かい側には80系、奥には身延線の旧型電車の姿が見える。

2月19日 12:25


富士駅を発車して行く「桜島・高千穂」から身延線のみの存在クモハユニ44をとらえる。この803はパンタを後部に移設し、その部分のみを低屋根構造とした車で、1968年に大糸線から身延線に移ったのが幸いしてこのような手法での改造となった。全体が低屋根の800〜802と異なり、オリジナルのイメージは保たれたが、ベンチレーターはたった3個の変わり種である。
ホームを横断するテルハも懐かしい駅設備である。テルハはホーム端に設置されていて、構造がよくわかる写真が少ないが、これは比較的判りやすい写真である。

2月19日 富士


清水到着は12分延。木製の架線柱にホーロー引きの駅名標がほほえましい。後方のワム80000はまだピカピカである。

2月19日 12:47

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