1975年2月 九州(其の6)

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雷が鳴り、時折り雪の舞うというとんでもない天候に震えながら20時54分発の急行「屋久島2号」大阪行きで下関を目指すまでの西鹿児島の半日をお送りする。
撮影日は全て20日、場所は西鹿児島である。
当時の581系・583系の運用を見ると、西鹿児島での折り返し運用には余裕があったようだ。朝7時52分に岡山から到着した「月光1号」は10時59分発上り「有明1号」で博多に戻る。
左側で発車を待つ13時44分発上り「有明2号」クハネ581−14は、9時58分に京都から着いた「きりしま」の折り返しである。右側のクハネ583-28は下り「有明1号」が約40分遅れて進入してくるところであるが、この列車の折り返しは夜20時46分の上り「月光2号」だから別にどうということはない。
私のような素人は、定時12時43分着のこの「有明1号」の折り返しを13時44分の「有明2号」に設定してしまいがちだが、広域の車両運用となるとそう簡単に決められるものではないらしい。
余計なことは考えず、長大編成の581・583系の行き交う姿を眺められた思い出に浸るとしよう。

13:20


西鹿児島の対東京急行は「桜島」と「高千穂」であったが、鹿児島本線経由の「桜島」は下りが到着して2時間50分後に上りが西鹿児島を後にする。
東京駅では落ち着いて撮影できなかったが、西鹿児島ではグッと寄せてサボを撮ることが出来た。ホーロー引きではなくプラスチックなのは残念だが、ナハフ11 8の塗り重ねられたペイントもしっかりと写り込ませることが出来た。

13:43


其の1にも書いたように、当時の時刻表には東京発基準が2月20日まで、西鹿児島発基準が2月18日までしかグリーン車連結はしないとなっていた。18日発の1102レは、途中ですれ違うときに連結を確認していたが、19日発の1102レは深夜のすれ違いで確認できず、ついにグリーン車さえ外されてしまった姿を見るのかと少々センチメンタルな気分で編成を見ていくと、ご覧のように電暖付きのスロ62が繋がっていた。ナンバーの前には横軽通過可能を示す白丸まで付いた北オクからの借入車であった。

13:48


当初、廃止まで鹿カコのオロ11を使用する計画で、転配を考慮し18日西鹿児島発を最終とし、この編成が上京して再度下ってくる21日に編成から外す予定であったのだろう。しかしいかな斜陽急行とはいえ、名残を惜しむ鉄道ファンの利用も期待できるのならば北オクから借り入れても収益アップにつながると判断したのだろう。
スポットライトの位置や窓廻りなど、随所にオロ11との違いの見えるスロ622007の室内。

13:52


「桜島」は26時間足らずで東京〜西鹿児島を結ぶが、「高千穂」は28時間半ほどかかる。この2時間半の違いが鹿児島本線経由と日豊本線経由の違いなのだが、共に終着が同じで、しかも門司で併結が入るから事は複雑になってくる。
午前中に西鹿児島に着く下り「桜島」の向かい側に上り「高千穂」が発車を待っていたように、ED761001を先頭に発車を待つ上り「桜島」の向かい側に今朝未明まで一緒だった4101レ下り「高千穂」がDF50530に牽かれて到着した。

14:32


東京行き1102レ「桜島」が発車の後、僅か7分後にED7635の牽く134レ熊本行きが発車する。
機関車の前と客車の中央付近から暖房用の蒸気が立ち上っている。

14:35


続いてやって来たのは日豊本線別府からの507D急行「しいば」である。
平家落人伝説で名高い「椎葉」が列車名の由来かと思うが、きっちりとグリーン車を連結しているのは嬉しい。
このようなローカル急行は指定席料金が通年¥100だった。

キロ28 8のサボ 14:48


「桜島」のあとを追っかけてきた「はやぶさ」がかなり遅れて西鹿児島に到着。3月の改正で24系に変わってしまう列車である。長崎編成7両を切り離したカニ21 8他の編成は8両という身軽さながら、今日のブルトレ衰退を思うと隔世の感がある。この編成はこの後、夜19時40分発、上り「あかつき7号」で新大阪を目指す。

15:20


クハネ581-34を先頭に到着した下り2033M「有明2号」。ホームやテルハの様子から天候の変化が激しかったことがうかがえる。
バックミラー付きで製造されたクハネ581としては最後のグループになる車で、助士席側にはまだ支柱が残っている。

16:02


大阪、新大阪、東京といった行先と共に、懐かしい列車名が並ぶ鹿児島本線上り時刻表。駅構内の日本食堂で夕飯を食べ、いよいよ夜の部スタートである。

18:50


夜に「にちりん」でもないのだが、博多を10時に出た日豊本線の特急「にちりん2号」はほぼ定時に到着した。先頭はキハ82 2、1961年製造の古参車で、当時は鹿児島所属。新製配置は尾久、その後向日町、金沢、和歌山と移動しているから、北海道以外のキハ82運転線区は制覇しているかも知れない。

19:09


午後「はやぶさ」で到着の編成が22レ「あかつき7号」で折り返す。よく見るとカニ21のカーテンの引き方もそのままである。

19:35


大阪行き急行「屋久島2号」の指定席に現れたのは何とスハ44であった。「銀河」では馴染みのこの車も、遠く鹿児島の地で出会うとは思わなかった。

20:15 


「屋久島」のサボ。上の写真も含めてストロボはあまり使わないほうが良いように思う。
更新したサッシの向こうに回転クロスシートが見える。窓下のテーブルは追設だろうか?

20:16


長時間露光をすると、実にいい雰囲気の写真になる。狭窓がずらりと並ぶスハ44の室内は蛍光灯の白色が眩しく、洗面所の白熱灯との対比が実に良い。
機関車の先頭方向は蒸気暖房の湯気が上がっている。露光は16秒、絞りは11まで絞り込んでいる。

20:30


新大阪〜博多間の特急寝台電車として登場した「月光」も、1972年3月15日の改正で岡山〜博多と岡山〜西鹿児島の2往復となり、月光は西鹿児島にも射すようになった。しかしその「月光」も新幹線「ひかり」の前では歯が立たず、3月の博多開業までの命となった。
クハネ583-31とモハネ582−101の連結部分に掲出された運転区間入りの「月光」サボ。

20:40

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