1975年2月 九州(其の7)

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日付は再び変わって2月21日を迎える。
冬の稲妻に度肝を抜かれた鹿児島から上り急行「屋久島2号」のスハ443に揺られて未明の下関に戻ってきたのは4時58分、冬の日本海を身近に感じる寒さであった。今回は、朝の下関から続々と東上して行くクハ481ボンネット車を中心に、山陽路の最後の華やかなりし時代を振り返ってみたい。
このページの画像は全て1975年2月21日、下関で撮影したものである。

早朝の下関は上り昼行優等列車のオンパレードである。私の乗ってきた「屋久島2号」が上り夜行列車のしんがりであるが、その30分後には「しおじ2号」新大阪行きが下関を発車する。その後はほぼ30分ヘッドで昼行特急が下関を発車していく。
ところが下関に現れる最初の昼行下り優等列車は山陰本線江津発の急行「あきよし」で10時59分である。その後も12時30分着の下り「つばめ1号」までは、「青島」「出島」といずれも気動車急行というのだから面白い。
最初の上り昼行優等列車は5時30分発「しおじ2号」である。181系があと2年頑張ってくれていたら、パーラーカー付きの華麗な姿を拝めたのだが、それはかなわぬ事。クハ481-33の行先表示がこの日の最初のショットになった。

5:10


上り「しおじ2号」の先頭に立つのはクハ481-33。181系時代から伝承されたヘッドマークだろうか?だいぶすり減った感じがする。東急車輌製の初めてのボンネット車で、製造後まだ6年弱、ボンネットも艶やかな印象がする。ボンネット下部の外気導入グリルが縦型になり、タイフォンはシャッター付き、スカートはクリーム色という485系用クハ481の印象が強い表情だが、今回の画像では「しおじ」のヘッドマークに重点を置いた。車体の特徴が判る画像は【クハ481・489系の面々】「クハ481-33」をご覧いただきたい。
「屋久島2号」から30分待ってこの「しおじ2号」に乗り換えれば、徳山で「屋久島2号」を追い越し、1時間40分近い差を付け12時29分には大阪に着く。

5:12


ホーム下の連絡通路で見かけた特急自由席の案内板。「つばめ」「みどり」「日向」といった面々がボンネットイメージの先頭車で描かれている。グリーン車2両、食堂車付きの11両編成が485系、グリーン車・食堂車共に1両の12両編成が581系使用である。

5:47


6時55分発上り「はと2号」、6時半を過ぎようやく周囲が薄明るくなってきた。
前の「しおじ2号」のあと「はと1号」「しおじ3号」と続いているのだが、この2本とも私の嫌いな200番台、300番台先頭車だったために撮影対象から除外されてしまったらしい。今となっては「1枚くらい撮っておいたって良かったものを・・・」と思うが、若気の至りである。
先頭はクハ481-35、上の33と異なりタイフォンカバーはなく山陽路専用の印象が強い顔付きである。この画像もヘッドマークを主体に調整してあるので、車体の判る画像は【クハ481・クハ489の面々】「クハ481−35」をご参照願いたい。

6:42


1972年3月の新幹線岡山開業により、「はと」は山陽区間のみの運転に変わった。当初は181系が「はと」運用に復活し色めき立ったものだが、半年で485系に代わってしまった。「しおじ」は新大阪〜下関・広島の運転であるのに対し、「はと」は岡山〜下関の新幹線接続列車としての使命を担っていた。
クハ481-35の行先表示である。

6:47


この日最初の下関発急行「山陽」は7時7分発の「山陽4号」である。当時は上り列車にも奇数号が存在したから、この前に3本の「山陽」が存在することになる。しかしこの時点では「山陽2号」「山陽3号」はまだ始発駅を発車していない。「山陽1号」は広島6時6分発、「山陽2号」は広島7時12分発、「山陽3号」は南岩国8時26分発という具合である。呉線経由の「安芸」や九州からの直通「玄海」「つくし」を含め昼行急行が1時間ヘッドで運転されていた当時の状況は、1964年9月までの東海道本線全盛期を彷彿とさせる光景であり、153系はいずれの黄金時代をも経験してきた強者でもある。

クハ153-45が先頭の上り「山陽4号」 7:00


可変式のヘッドマークの歴史は東海道本線の電車急行がその嚆矢であろうか?列車名を切り替えては昼行から夜行まで大活躍を続けたこの153系に可変式ヘッドマークはよく似合う。パタンと裏返すと「安芸」になるであろうこのヘッドマークは、宮原電車区の「なにわ」「せっつ」などのデザインや金沢運転所の「立山」「ゆのくに」などのデザインに比べ大変実用的で、京成や東武などでもよく見られた行先表示板を横にしたような印象を受ける。

7:01


寒さのせいか、未熟者のなせる技か、上の写真が1/30secで手ぶれしていないのに、1段階遅くした1/15secで撮影のこの画像はものの見事に手ぶれを起こしてしまった。貴重な「山陽」のサボということでご容赦願いたい。
サボのほぼ真ん中に束ねるときの穴が開いているのが面白い。前の「其の6」でご覧いただいた「月光」の特急サボも中央に開いている。
発車が少々遅れたのだろうか?撮影時刻は7時11分と記録されている。

7:11


EF66は憧れの機関車だった。住まいが常磐線沿線だったから電気機関車といえば旅客も貨物もEF80ばかり。大垣行きの夜行さえも待避させて深夜の東海道本線をEH10と共に颯爽と駆け抜ける姿は、貨物機にはもったいないような先進的なデザインと共に強烈な印象を与えてくれた。
「ブルトレを牽いたらかっこいいだろうな」と夢には思ったものだが、それが現実になった時には正に驚愕したものである。
ましてやこの11号機が鉄道博物館に収蔵されることになろうとは、夢にもどころか全く考えてもみない偶然の撮影だった。

7:13


九州地区の交直両用電車の真価発揮は下関以東の本州乗り入れにほかならない。EF66とは逆に、地元の401系でものすごく馴染みのある色と顔であったが、小皿を伏せたようなタイフォンカバーや完全に閉鎖されたような感じに見える貫通扉、列車番号表示の代わりに編成番号を表示しているところなど、細部を見ていくと401系との違いが際だって来たものである。この頃はすでに車体裾の帯は廃止されていた。
A-1が示すとおり、クハ421−1トップナンバー編成である。

7:13


山陽線普通列車<440M>は広島運転所の80系6連であった。先頭は何と2両のみの丸妻2枚窓クハ86021であった。鼻筋の通らない湘南形として珍車中の珍車である。「3枚窓車の台枠を使って2枚窓にしてみた」という、いわば設計変更過渡期の申し子で、正面窓はやや引っ込んでいるが、逆に運行窓は飛び出している。
確かに上半分を隠してみるとどう見ても3枚窓車に見えるので、お試しあれ。
屋根上やジャンパ栓カバーの上にはうっすらと雪が積もっている。向こう側の新型寝台車は★★★の25形下り「彗星5号」と思われる。

7:23


毛嫌いしていた200番台先頭車も、国鉄の超名門特急「つばめ」に使用されたとあってはシャッターを切らざるを得なかったと見える。それもあと半月で国鉄線上から「はと」と共に飛び去ってしまうのである。
しかしどう見ても異形の「つばめ」と映るのは偏見か?

クハ481-245を先頭にした上り「つばめ1号」  7:35 


クハ481-111を先頭にした上り「はと3号」。ちょっと人相が悪くなったシールドビームや、ボンネットに付けられた無粋なタイフォン、ゴタ付いた印象の外気導入グリルなど外観もさることながら、肝心のMGを床下に釣り下げるなんぞはボンネットが泣くぞ!と思っていた100番台ではあったが、上の200番台に比べりゃもう恩の字。「やっぱ特急はこの顔じゃなきゃね。」とばかりにホーム反対側から編成写真をものにした。

7:43

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