1973年 成田線(其の1)

今回は遠く九州から舞い戻り、36年前の地元成田線をご覧いただこう。
成田線(成田〜我孫子)は1973年10月に電化。過去においてはC51やC57、無煙化後はDE10が牽引して上野までやって来ていた成田からの直通客車列車も、電化を境にエメラルドグリーンの103系に置き換わり、線内折り返しの気動車列車も73系旧型電車に置き換わった。
地元で毎日のように眺めている日常を記録する難しさを痛感するが、電化という一大変革を前に極力日常に目を向けた記録である。
なお、画像の日付で、年号のないものは全て1973年である。

<電化への前奏曲>
日常といってもきっかけは非日常からスタートした。成田線は大晦日の終夜運転以降、1月いっぱい初詣列車で賑わう。これは今も昔も変わらず、「おおっ!」というような列車が今も入線してファンを楽しませてくれる。
1973年電化の年の正月終夜運転はディーゼルカー最後の終夜運転になるというので、紅白歌合戦のフィナーレも見ずに我孫子駅に出掛けていった。何しろ0時ちょうどに我孫子を出る列車が設定されていたからだ。

我孫子駅に張り出された終夜運転の時刻表。成田線は3時まで概ね30分ヘッドでの運転であったことがわかる。「初詣は明治神宮へ」とは如何に?おそらく営団地下鉄(現:東京メトロ)千代田線乗り入れを意識しての事だろう。

1972年12月30日


終夜列車といっても特別に編成を仕立てる訳ではなく、成田運転区(千ナタ)のいつもの寄せ集め凸凹編成である。電化直前の成田線は、10系気動車を中心に、キハ20、キハ35をちりばめた、車体幅も背丈もちぐはぐな編成であった。

我孫子駅で発車を待つキハ35102を先頭にした終夜運転列車。結構乗客の姿が見える。中線を挟んで向かい側のキハ58系は常磐線の最終水戸行き。

1972年12月31日


私ならキハ35で初詣に行きたいとは思わないのだが、一般客にとっては最も近代的な外観のキハ35は、それなりに魅力なのかも知れない。狭いシートピッチの10系クロスシートより、空いていて足を投げ出せるロングシートも魅力なのか?

水戸行きのキハ58と並ぶキハ35102。この水戸行きは、長駆仙台から上ってきた「そうま1号」の回送ついでの客扱いのようなもので、土浦から先は石岡、友部のみ停車、水戸には1時28分に到着する。

1972年12月31日 我孫子


ホームの時計が0時を指すと同時に成田に向けてエンジン音も高らかに発車していく。しんがりはキハ17246。当時まだ少数だったシールドビーム2灯改造車である。ホームのくずもの入れ、灰皿、水飲み場が懐かしい。

1月1日 我孫子


キハ20はそれほど数多くなく、先頭に立つことは比較的少なかったように思う。上段窓固定のいわゆる「バス窓」車は配置されて居らず、キハ17に比べると随分近代的に感じたものである。当時(1973年3月31日現在)成田運転区に配置の気動車は、キハ16:1両、キハ17:16両、キハ18:3両、キハ20:5両、キハ35:8両、キハ36:1両の計34両だった。

我孫子駅4番線に停車中のキハ20397。柱には「成田・佐倉・銚子 方面」の案内が見える。架線注意のステッカーを貼った車は成田運転区では珍しく、タイフォンシャッターと共に他区からの転入と思われる。

1月8日


<成田線初乗り>
2月にはそれまで地元でありながら乗ったことも無かった成田線に初めて乗車する機会が訪れた。DE10の牽く客レにとも思ったのだが、客レの方は我孫子〜上野間を直通列車で随分乗っていたから、寄せ集め気動車10連の<841D>に乗ることにした。この一般気動車10連は、朝のラッシュ時に成田からの上り5連に後続の湖北発5連を併結して成田に向かうもので、要は10連の内5両は回送みたいなものなのであるが、発車シーンなどはなかなかに壮観なものであった。

偶々この日は千葉気動車区(千チハ)からなんとキハ26422が応援に入っており、キハ17かキハ20に乗ろうと目論んでいた私は大喜びでキハ26422の回転クロスシートに陣取ることとなった。

我孫子で併結されるキハ26422とキハ17357。

2月21日


格下げ車とは言え、シートは回転クロスシートそのままだから、これはラッキー以外の何者でもない。早速ナンバーを入れてサボを撮影。乗客の中には間違えたかと隣の車両に移る人も居た。

2月21日 我孫子


我孫子駅で並ぶキハ17122とDE10124の牽く客レ。当時ごくごく当たり前に見られた光景である。

2月21日


成田まではアッという間だった。ほとんど夢心地にキハ26422の回転クロスシートに腰掛けていて、車内を撮るでも車窓を撮るでもなかった。

成田駅6番線に到着したキハ17359。前方ではもう5両の解放作業が行われている。キハ26422の入った編成だけがこのあとも我孫子〜成田をのんびりと行ったり来たりする。

2月21日


成田線の客車は佐倉客貨車区所属車で運転されており、主力はオハ35系、次いでスハ43系、3番手が鋼体化オハ61系列であった。緩急車はスハフ42が最も多くオハフ61とオハ61が連続することは少なく、珍しいと思って撮影したひとコマである。

成田に憩うオハフ612554。背ずりが木製で、朝の上野直通列車に乗るときは極力避けていた車である。

2月21日


古めかしい木造の上屋を持つ1番線ホームに千葉行きのモハ73系が止まっている。一番奥の成田線気動車と上手く並びを撮りたかったが広々とした駅構内全景を撮影するしかなかった。あと半年ほどで成田線にもこの電車がやってくるのか・・・と思ったものだ。上野への直通はせめてセミクロスの113系が走って欲しいと思っていた。

成田駅1番線で発車を待つクハ79399ほか千葉行き。新設された左側のホームは0番線で、前年7月に開通した総武快速線への直通電車が出入りする。

2月21日


千葉行きローカルの反対側クハ79354。こののどかな雰囲気は成田空港が開業した今日でも残っている。

2月21日


成田山新勝寺への表玄関然とした成田駅の駅舎。1979年に建て替えられた現在の橋上駅も新勝寺をイメージした趣向が凝らしてあるが、パッと見たインパクトの強さは、断然先代のこの駅舎であろう。駅前のタクシーはブルーバード510。時代を感じさせる。

2月21日

つぎへ

もどる

休憩室へもどる

TOPへもどる