1974年10月29日 新潟・長岡(其の1)
181系のみで運転されていた「とき」にいよいよ183系置き換えの噂が忍び寄ってきた。
181系は1972年3月の「姫路」行きで初めて乗った「しおじ」以来、「あずさ」「あさま」と乗ってきたが、まだ乗ったことのないのが「とき」であった。
今からちょうど30年前の10月29日、「とき」乗車の機会に恵まれた。
まずは、常磐線で上野に向かう。日暮里を発車、車内は私だけになり鶯谷付近を通過中のサハ103−226車内である。常磐線生え抜きの車でもちろん冷房など取り付けられてはいない。こんな写真もこういうチャンスに撮っておかないとまず撮ることはない。

新潟に向かうに際しては6時38分発の<2001M>「とき1号」から待機し、新潟寄り自由席先頭車に元151系が連結されているかによって、出発を順延していく予定であった。
幸いにしてやってきたのは上野方からTc64+Ms42+M's42+T'10+Td7+M'10+M24+M'43+M43+Tc12で、早速10号車クハ181-12に席を確保した。当時すでに「とき」に運用中の帯のない先頭車はクハ181-7のみであったが、ロングスカートは山陽からやって来た証であった。

録音も行っていたために、運転室直後の席に陣取った。目の前は仕切の化粧板だが「クハ181-12」のナンバープレートと寒暖計が取り付けられていたのが印象的であった。天井の多孔板の様子も良くわかる。
最初の停車駅大宮。まだ7時過ぎで朝のラッシュが始まる直前である。京浜東北線の103系はATC準備車、その向こうは東武野田線の3000系で、メモにはモハ3561の番号が残っている。
越後湯沢では新潟ローカル70系を追い越す。この車は1951年製の1次車クハ76015で、のちの更新修繕により乗務員室直後に幅365mmの小窓が開けられた。室内はガラガラ、当時はもちろん「禁煙」ではなかったようである。
東三条と新津の間を走行中のクハ181-12室内。1961年以降お馴染みになったAU12の吹き出し口が並ぶ。網棚の荷物からしても、かなりの乗客が居る様子がわかる。川車のプレートが遠くからでも目立ち、良いアクセントになっている。
ベンチレーション切り替えレバーが2本付いている運転室直後のAU12吹き出し口。右側が開閉レバー、左側が取り入れ口の切り替えレバーである。この車が先頭車の場合、左のレバーが画像の位置だと取り入れ口はユニットクーラー後方になってしまい本来の機能が発揮できていないことになる。

「こだま」の設計当初からたずさわってきた自信と誇りに満ちあふれたデザインの川崎車輌製造銘板。新潟駅到着直後にバタバタと撮影した一コマである。昭和37年に製造されたクハ151はこの12号のみで、結局この車がラストナンバーになった。
4時間の旅を終え新潟に到着したクハ181-12ほか<2001M>。このあと一旦引き上げ、11時50分発<2012M>上り「とき6号」で折り返す。
新潟ローカルで70系と共に使用されるクハ68005。この車は1933年(昭和8年)にモハ42系の2・3等合造制御車クロハ59006として誕生、戦時中の2等廃止に伴いクハ68026を経てクハ55140に改造、1953年の形式称号規程改正により現番号に改番された。窓配置には元合造車の面影が残り、関西で活躍した証は運転室半球形の通風器に残るが、独特のタイフォンカバーやスノープローなどに豪雪地帯を生き抜く現実の厳しさも見て取れる。

新幹線開通前の新潟駅正面。全体的に極めてシンプルな印象で、屋上部分には「新潟がある 新幹線がある 未来がある」というなんとも微笑ましいスローガンが掲げられている。
上の駅舎側から駅前のロータリーと大通りを望む。ずらりと並ぶタクシーに時代を感じる。
