1971年・1972年 西日暮里(其の1)

1971年4月20日、山手線の29番目の駅として(正確には東北線になるが)西日暮里駅が誕生した。首都圏五方面作戦の最後を飾る常磐線複々線化によって、緩行線が全て営団地下鉄千代田線に直通運転となったが為の救済駅であった。
開業から半年あまり、鉄道写真を撮り始めて一年あまりの11月4日、初めての駅間写真撮影に出かけた。

最初にやってきたのは非冷房のクハ165を先頭にした上越線急行「ゆけむり5号」。上野を出てグングン加速中、風をはらんで幌が大きく左右に広がっている。当時はローカル急行でもちゃんとグリーン車が連結されていた。


続いては169系900番台をしんがりに、東北線急行「なすの3号」が上っていく。169系900番台は当初165系900番台を名乗っていたが、のちに169系に編入された。冷房装置はAU12が6基で165系冷房改造試験車などと同じである。


こちらは東北線日光行きの普通電車。先頭はクハ115基本番台の後期タイプで、最前部のベンチレーターが押込式になっている。


クロ481を先頭に上ってくる<16M>上り「ひばり3号」。当時は東北筋の特急といえばクロ481先頭の9連、仙台運転所特急編成であった。9両といえどももちろん食堂車組込の堂々たる編成であった。


こちらはクハ481を先頭にした下り「やまびこ」。まだタイフォンカバーが付けられていない。こののち一旦全車に回転式のタイフォンカバーが付いたが、1973年からは100番代にならってボンネット部分に移設されるようになった。


クハ181-102を先頭に外線をやってくる下り特急「とき3号」。下り特急はほとんど外線を使用していたようで、フェンスが低いこともあって撮影していて結構怖かった記憶がある。そのせいかシャッターをかなり早めに切っており、一部を拡大しているために画質は良くない。


福島からやって来たEF578牽引の<122レ>。電車が好きだった私にとって、気になる存在だったのがこのEF57であった。大きなパンタをぐっと張り出させたデッキ付きの重厚な機関車は「ただ者でない」印象を与えた。機関車の次位はスユ37、あとにはスハ32やオハ35・スハ43などが続く。


冷房取付準備工事のクモハ455をしんがりに上野へ回送される455系。グリーン車以外はほとんど非冷房車で組成されている。


尾久に向けて推進で引き上げる、EF574ほかの客レの向こう側を、同じく上野に向けて回送される「いなほ」回送キハ814。一瞬のシャッターチャンスであったが、思い出深い一コマとなった。


西日暮里のホームに進入する京浜東北線の101系。当時からスカイブルーの101系は気になる存在であった。東北本線との間には「浅野セメント」の工場があったように記憶している。

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