1972年12月12日 仙台(其の1)
1972年4月高校に進学、それまで何かと一人で遠出は許されなかったのだが、ようやく許しが出るようになり、やはりこの頃から鉄道好きだった「デトニの部屋」のデトニさんと初めての東北日帰り旅行を計画した。
目当ては、当時常磐線経由で盛岡まで走破していた451系急行「もりおか」、そしてアコモデーション改善工事が真っ盛りだった、うぐいす色の旧型国電仙石線、そして583系「ひばり」であった。
出発は上野発8時ちょうどの「もりおか」。いつもながら早く来てしまう癖のあった私は、久々に奢ったカラーフィルムの1枚目に当時の夜のスター583系「ゆうづる」の姿を収めた。
場所は今は無き上野駅の低いホーム19番線。先頭はクハネ583-17である。

32年後のクハネ583-17の勇姿。仙台で美しく整備され、夜行列車として使われているのは嬉しい。
2004年5月19日 南流山

クモハ453−13を先頭に、発車前の整備を行う「もりおか1号」。当時は上り普通列車の折り返しであったように記憶している。

現在の仙台行きスーパーひたちに近いスジで運転され、編成は奇しくも基本7両+附属4両の同じ11両。先頭クモハ453-13の「もりおか」のサボ。
列車番号はまだそのまま452Mを掲示したクハ451-19。ホームには小さな机を出して急行券を売っている駅員の姿が見える。
上野駅10番線の懐かしいロール式の列車案内。当時常磐線は急行全盛時代で、「ときわ」系統はジャストタイム発車を自慢にした「L急行」とでもいうべき状況にあった。これから盛岡まで8時間の長旅である。出来ればビュフェの連結が欲しかった。
まだすっぽりと背ずりに被せるタイプのシートカバーを使用しているサロ451-102の室内。二連の下降窓とAU12の並ぶ、当時の急行グリーン車のスタンダード。
上野から2時間半ほどが過ぎ、ようやく「浜街道」の名にふさわしい勿来海岸を拝むことが出来た。常磐線沿線に住むようになって2年半、常磐線から眺める太平洋は新鮮であった。

海岸に相応しい松並木。車窓を楽しむ「旅」の風情が、まだまだ味わえた時代であった。
上野から5時間あまり、昼下がりの仙台駅に到着した「もりおか1号」。このあとさらに3時間ほどをかけて盛岡を目指す。反対側には鋼体化オハフ61が「青森行き」のサボをぶら下げて止まっている。

ぶどう色の73系しか見たことのなかった私にとって、毎日通学で利用していた「山手線」と同じうぐいす色の73系は衝撃だった。しかも窓は2段のアルミサッシに改造し、63形譲りのグロベンを事もあろうに東海形ベンチレーターに取り替えた姿は、何とも不思議な感覚を起こさせたものだ。
地上時代の仙台駅仙石線ホームで1扉のみを開けて発車を待つクモハ73307。

石巻に向け発車していくクハ79154。前面窓のHゴム化が行われ印象が変わっているが、こちらもアコモデーション改造車である。ホームのはずれには防火用水のほか、「石巻」「高城町←→仙台」といった行先板が並べてある。