1973年5月20・21日143M・しなの・あさま(其の1)

中央西線電化を2ヶ月後に控えた1973年5月、143Mで名古屋へ向かい、そこからキハ181「しなの」、181系「あさま」と乗り継いで帰京する計画を立てた。
この時、実はもう少し西の山陽路では181系「しおじ」がまさかの引退を目前にしていたのだが、今ほど情報のない時代で全くその事実を知らず、クロハ181と出会う最後のチャンスを逸してしまった。
しかし、当時はそんなことは知る由もなく、修学旅行以来3度目の夜行列車の旅、それも名門143Mでの出発に心を躍らせていた。

長旅への出発の時は決まって出発時の日常から記録するのが好きだった。この日も上野から東京まで乗ったのは京浜東北線の貴重な101系、KE58ジャンパ栓2本の特徴あるクモハ101-59が東京駅を発車していく。

1973年5月20日


この当時の時刻表が手許になく記憶でしかないのだが、普通車グリーン料金は101km以上は一律300円だったためにグリーン車の割安感が非常に人気を呼んだ時代であった。9番線下の地下通路に表示される大垣行き普通の案内。

1973年5月20日


ホームにはすでに153系が入線しているが、この日もグリーン車は定員の96名が22時前には並んでしまい、何の事情も知らなかった私はあえなくモハ152-33の人となったのである。

1973年5月20日


大垣寄り先頭にはクモユニ74012とクモユ141−8が連結され、クモユニ74012の荷物室では新聞の積み込みが行われていた。当時は全く当たり前の光景として撮影したものであるが、今となっては貴重な想い出となった。

1973年5月20日


長駆、大垣を目指し発車準備が整ったクモユニ+クモユ+153系。普通車はご覧の通り閑散としているが、グリーン車は満席である。

1973年5月20日


最後部のクハ153-513。なぜか列車番号は307Mが入っていて、そのまま終着まで行ってしまった。隣の横須賀線は非冷房、非ユニット窓の113系1000番台。

1973年5月20日


これまで2回経験した夜行列車は何れも復路の利用であり、夜の東京を出発するのはこの時が初めてであった。興奮状態でしばらくは眠れず、車窓から停車駅を撮影していたことを思い出す。これは最初の停車駅「新橋」。向こうの103系は京浜東北の北行である。

1973年5月20日


次の「品川」。ホーム中央の「水飲み場」が何とも懐かしい。向こうに停車中の113系は横須賀線、サロが連結されているのがわかる。

1973年5月20日


「川崎」、奧に南武線の101系が見える。この辺りでそろそろくたびれてきたのか、このあとしばらく撮影はしていない。

1973年5月20日


どの辺りか全く記憶にないのだが、上り144Mとすれ違った。こちらのグリーン車は満席なのに向こうはガラガラ、悔し紛れの1枚を撮影。これ以降全て1973年5月21日の撮影。


新所原で夜が明け、日が昇ってきた。待合室だろうか?古き良き時代の面影を残す新所原のホーム。

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