1971年12月22日 鶴見線
1970年当時、東京近郊で17m国電のみで運転されていた線区が鶴見線であった。私はさすがに山手線時代の17m車は知らない世代であるが、それでも食パンのような3段窓の73形を見慣れた目には、工芸品的な味わいとさえ感じられる戦前型電車の造りの良さを実感できた。
初めて鶴見線を訪れたのは、鉄道写真を撮り始めて1年4ヶ月あまりたった冬の寒い一日であった。
鶴見駅で高架線に位置する鶴見線のホームに上がってみて、「これは私鉄だ!」と感じた。まさしく買収国電なのであるから当然といえば当然なのだが、2面のホームを覆う大屋根、こぢんまりとはしていても、「ターミナル」を感じさせる頭端式のホームの雰囲気は、国電では味わうことの出来ないものであった。
車両はクモハ11425、1936年に大井工場で木造車を鋼体化したモハ50023が前身である。シル・ヘッダーにはリベットが並ぶが、パンタグラフや通風器は戦後標準化されている。

車止め側から見た鶴見線ホーム全景。こちら側から見ると完全に古き良き時代の私鉄ターミナル駅の風情で、17m車が実に良く似合う。
編成は上と同じであるが、鶴見側はクハ16476。相方のクモハ11425よりも5年あとの1941年に大井工場で鋼体化されたクハ65182の改番である。登場時は3列のガーランド形通風器であったが、戦後グローブ形に改められた。

今でも多くの方が鶴見線を訪れるとここ「浅野」駅で撮影されることが多いのではないだろうか。ここは、扇町方面と海芝浦方面が分かれる鶴見線最大のターミナル駅である。
海芝浦からの列車の先頭に立つのは1929年製元モハ31026の電装解除車クハ38200を改番したクハ16300である。非貫通タイプの前面、側窓の配置に特色を残し、車体のリベットにも生まれを残す車である。
鶴見線がまさに京浜工業地帯の工員輸送線区として誕生した経緯が彷彿とさせられる一コマ。周辺は工場また工場である。
車両はクハ16255とクモハ11248で、クハ16は元モハ30の電装解除車。ダブルルーフの丸屋根改造によって、印象は大きく変わっている。
続いてやって来たのは、クハ16552とクモハ11451の2連。朝夕のラッシュ時には2+2の4連が見られたようだが、日中はこのようなMc+Tcの2連である。
先頭のクハ16は通風器の変則的な配置からわかるように、連合軍専用車として運転室よりの半室を接収された経歴を持ち、クハ65218→クロハ16852→クハ16552という変遷をたどった車であり、車内には仕切や肘掛けなどにクロハ時代の面影が残っていたという。
先程上っていった編成が下ってくる。先頭はクモハ11429、後ろに従えるのはクハ16300である。クモハの方は元モハ50029で、1937年に鋼体化改造された車である。
浅野駅まで乗ってきたクハ16476+クモハ11425の編成も扇町から戻ってきた。どちらも鋼体化のモハ50形グループで、窓配置などは整った印象がある。

クモハ11425の面構え。こんな写真が撮れるのも、駅構内に踏切のある駅ならではのこと。室内の白熱グローブ灯が郷愁をそそる。
2・3番線ホームから見た4番線ホーム。習字体のホーロー名標「鶴見方面」も懐かしい。
クハ16255の車内から弁天橋電車区を撮影。ご覧の通り区内は17m車ばかりである。

大井工場の修繕標記。17m車で43.4t、積車換算で5.0両というのだからいかに重かったかがわかる。ちなみに冷房改造後のクモハ103でさえ、20mで40.3tである。
鶴見駅の京浜線ホームに降り立つと、ちょうど横須賀線の113系が通過していった。1000番代の投入が一気に加速し始める直前で、大目玉のクハ111を先頭にした編成も今となっては貴重な一コマになってしまった。
